アフリカの歯医者で悟りを開ける件

田舎の歯の治療法

今日もご訪問ありがとうございます。

アフリカ・ルワンダ会計士の笠井です。

 

ルワンダにいると、たまに歯が抜けた人を見かけます。

そして田舎での虫歯の治し方が驚愕なんです。

 

①まず、虫歯を特定する

②歯に紐を巻き付ける

③一思いに引っ張って歯を抜く

 

話聞いていたらね、思わず私アゴが突き出ていました。

想像してください、歯を引っ張って抜かれる瞬間を。

少しでも痛みと恐怖から逃れようと、引っ張られる方向へアゴが勝手に出ていきます。

この世の重力に抗うがごとくアゴが引っ張られる感覚を覚えるでしょう。

 

今この瞬間、日本全国の私のブログを読んでいる方のうち8割の方のアゴが前に出ていることを確信しています。

 

開眼 

ところで、かの大阿闍梨・塩沼亮潤氏は以前、1300年に1人しか達成できていなかったという金峯山での千日回峰行と呼ばれる命を懸けた修行を成し遂げられました。

1日48kmを1,000日間歩き、また、断食・断水・断眠・断臥を9日間続ける4無行も満行。

その結果辿り着いた境地は、「人として大切なことは感謝と反省と敬意」だそうです。

 

アフリカのルワンダでこの「紐で歯を引っこ抜く治療法」を実践した方々も、この境地に達していることは想像に難くないでしょう。

「人として大切なことは感謝と反省と歯を磨くこと」なのです。 

しかもこの境地へ達した人がごまんといるのです。

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(freepik:Fabian Nick

この話を聞いてから、歯がない人を見かけると尊敬と畏怖の念を抱かざるを得なくなりました。

ルワンダの田舎で歯が抜けている方を見ると、

「あぁ、この方は、あの苦行を成し遂げた方なのだ」と、思わずひざまずきたくなります。

以前のブログで、田舎には鼻をほじる神がいるというお話をしました。

www.yugablog.com

今、私の目の前には、悟りを開いた方、そう釈迦がいるのです。

しかも目の前に何十人、何百人もいるのです。

ルワンダの奥地には、神と釈迦がたくさん共存しています。

聖おにいさんの漫画はルワンダ発祥なのでしょう。

 

小室ファミリー 

そんな歯の抜けたお釈迦様が私に挨拶してきました。

「ニーハオ。」

 

重い

 

そして深い

 

なんとメッセージ性に溢れ、聡明さと優しさに包まれた挨拶なのでしょうか。

 

まず彼は国という概念を否定しています。

私は日本人ですので、通常であれば

「こんにちわ」

が適当です。

そこを彼はニーハオといったのです。

所詮国なんてものは争いの繰り返しにより定義されたものであって、負の産物だと彼は言います。

現に未だにこの土地は誰のものという争いが行われているわけで、彼はこのカテゴライズを否定しているのです。

では、何をもってして人をカテゴライズしているのか。

それはルーツだと彼は言います。 

まず彼は私を一瞬で弥生系の顔だと判断されたのです。

日本では縄文系と弥生系の二つに分けられ、

縄文系は大陸が陸続きだったころにオホーツクの方から渡来し、

弥生系は弥生時代に中国大陸から渡来した人たちを起源としているとかいないとか曖昧な記憶が。

日本でも

「あなたは縄文顔?弥生顔?」

なんて判断が流行りました。

私自身は、実際微妙なところですが、毛もかなり薄くやや弥生よりだと言われています。

つまりルーツは大陸、中国になるわけです。

しかし、今は髭を伸ばすことで限りなく縄文顔に近づけました。

今の私を見ると、人は皆縄文系と言うでしょう。

そんな微妙な私を見て、日本から遠く離れたルワンダにいるこの彼は、この歯抜けは、私の本質を見抜いたのです。

大陸で用いられている言語を選んだわけです。

 

この超越的な存在に頭が上がるはずもありません。

 

しかもなんという優しさなのでしょう。

ルーツを突き詰めれば、結局はアフリカに辿り着くわけです。

なぜ、アフリカから人類が外に出たのかには諸説ありますが、そのうちの一つに、抗争に負けた種族が出て行った説があります。

そう、彼らからしたら、起源元から去っていった敗者が我々なのです。

そんな負け犬が歩いていたらどうしますか?

無視でしょう。

でも挨拶をされたのです。

さらに負け犬の私に挨拶をするのであれば、起源元のアフリカの言葉で挨拶するはずです。

それなのにこちらに合わせて言語を変えてきたわけです。

これが王たる所以か。

 もう彼の方に足を向けて寝ることはできません。

 

つまり、この歯抜けは、

「ニーハオ」という一言のみで、争いによって定義されたこの世界を否定し、ルーツに従って人を判断すべきだとし、しかし、あえて最後まで遡らず、それぞれのアイデンティティが保たれるラインを見極め、一瞬で私のルーツを判断し、負け犬にも挨拶されたのです。

 

なんという「切なさと愛しさと心強さと」を兼ね備えた方なのでしょうか。

 

決心 

このように、挨拶一つにしても、苦行を終えた方の挨拶は一段と深いものになることがお判りになったかと思います。

 

これらの経験を得て、私も決心したことがあります。

とりあえず絶対この苦行やりたくないじゃないですか。

引っ張って歯を抜くとか、正気の沙汰じゃないですよ。

挨拶が深いとかね、ぶっちゃけ私にとってはどうでもよいです。

普通の挨拶で良いし。

なので私は、アフリカでは一生懸命歯を磨くことを心に決めたのでした。

 

 

 

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