皆様、お久しぶりです。
アフリカ・ルワンダ会計士の笠井です。
1か月ほど日本に一時帰国していました。
2017年8月中はルワンダで大統領選があり、まぁ99%大丈夫だろうけど、テロとか何が起こるか分からないですからね。私チキンですし。
今年はこの時期に休暇をとりまして、ブログも完全に無視して日本で悠々と休んでいたわけです。
確実に平穏な日々を送っているつもりでした。
が、降りしきる雨の中、私は日本でとてつもない気付きを得たのです。
それはこの昨今のグローバル化に伴うデメリットについてでした。
以前の私と言えば、暇な時には、道行く魅力的な女性に対し、頭の中で「ときメモ」のごとく会話をしては、時にはエロティックな展開も引き起こすエロテロリストでした。
これは日本の男性諸君も大いに経験があると思います。
ちなみにエロテロリストといっても、私の頭の中では純愛とちょっとのエロが行われるだけであることご了承ください。
いわゆる伝説の漫画I’s的なウズウズする微妙な距離感から、いちご100%やTo LOVEる的な要素までの、少年ジャンプ的エロテロリズムだと思っていただければ、納得していただけるかと思います。
分からない方のために具体例をあげるとすれば、体育館倉庫などで事故的に相手とドタバタし、気づいたら私の顔の上にお尻が食い込んでいて、その場は殴られるものの、気づいたら相手が恋に落ちている、あのパターンです。
そして、今日本で話題となっている「一線」を超えるために、数年に渡りかつてないほどの時間とエネルギーをかける世界です。
なお、お尻が食い込んだから恋に落ちたのか、恋に落ちたからお尻を食い込ませたのかの因果関係は依然不明ですが、それらは極めて相互補助的であり、かつそれらは繰り返されることによって性のスパイラルとなり、恋心とお尻の食い込みが助長されていくことは間違いないと思います。
このような発想は結婚したからと言って薄れることなく、むしろ結婚というしがらみが、せめて妄想の世界だけでもという強い願望を引き出し、32歳を迎えた私の少年ジャンプ的エロテロリズムは一層激しさを増していったのです。
しかし、ルワンダに数年いることにより、このエロテロ行為に変化が訪れたことを実感しました。
それは、最初はほんの些細な違和感でしかありませんでした。
初めにその違和感を感じたのは、一昨年の帰国時。
ふと渋谷でエロテロ行為をしていた私は、アフリカ系か南米系のような方を見た時に、ふと
「あ、やっぱり可愛いな~」
と思いました。
おい、待てよ?今私は「やっぱり」と言ったのか?
玄関のカギを閉めたのかどうか覚えていないけど結局閉めていた、そのくらい無意識のうちに「やっぱり」という単語を使っていたのです。
私は日本人女性が世界で一番美しいと信じていました。
しかし、確かにルワンダにいると、ルワンダ人の女性って美人が多いなと日々思います。
日本に一時帰国するたびにその傾向は強くなり、エロテロ行為が激減していったのです。
誤解を恐れず申し上げれば、エロテロ行為の標的が日本人からルワンダ人に移りつつあるともいえるでしょう。
決して、私の好みが変わったわけではないと思います。
例えば、今回日本に帰って一番印象に残っていることといえば、やはりというか、さすがというか、石原さとみちゃんが可愛かった。これに尽きます。
連日日本では、始球式で石原さとみちゃんがサブマリン投法をしたとのニュースで盛り上がっていました。
正直その盛り上がりは、私にとってトランプ政権絡みや北朝鮮のミサイル問題の比ではなく。
そして、私だけかもしれませんが、そのサブマリン投法の中で途中まではアンダースローだったが、投げる瞬間にはオーバースローになっており、サブマリンじゃないんじゃないかと懸念を持ったものの、結局可愛すぎるが故にそんな疑いを持ってしまった自分に怒りさえ覚えたのです。
そして、毎年投法が違うとの情報を入手し、さっそくインターネットで調べると、毎年ノーパンだという記事がやたら目に入る。
かつてない衝撃が走る。
バ、バカな。
あの?石原さとみが!?
youtubeをチェックすべきか、X ビ〇〇をチェックすべきか一瞬迷いましたが、当たり前ですが、ノーパンではなくノーバンだったことは言うまでもありません。
これが今回の帰国で一番印象に残っているニュースです。
話が、ノーパンかノーバンかという非常に興味深いが一切本編と関係ない方向に向かってしまったので、一旦元の世界へ戻ってください。
このように好みが決して変わったわけではないと思いますが、一般的なエロテロ行為の対象が変わってきたという問題に、今一度向き合わなければなりません。
これには様々な可能性が考えられます。
①日本人の魅力がなくなったのか、
②ルワンダ人の魅力が高くなったのか、
③私が現地化したのか
私としては②に期待している一方で、③の可能性は否定したい。
なぜなら、以前、私が敬愛する日本人で現地化を果たした知り合いでこういう方がいたからです。
友人「ルワンダにいると、ルワンダ人女性が好みになってくる。ウィッグを付けない坊主が好きだ。」
私「そんなもんなんですか。ちなみにどんなシチュエーションでイチャイチャしたいですか?」
友人「水道局員が水道管を検査しに来る時かな。」
もう何がなんだか分からない。
ただ1つ言えることは、彼が紛れもない変態だということ。
そして、私はこうはなりたくない。
現地化=水道局員プレイ
という式はあまりに極端な気もするが、今の私にはこれが全て。
私が今後ブログで、「水道局員の素晴らしさについて」などという記事をアップしたら、完全に現地化したと思っていただいて差し支えありません。
話が、水道局員プレイという非常に興味もなければ再度一切本編と関係ない方向に向かってしまったので、今一度元の世界へ戻ってください。
最大の悩みはここにあるわけではありません。
少年ジャンプ的エロテロリズムに危機が訪れているのです。
考えてください。
少年ジャンプ的エロテロリズムを行うためには、前提として、相手が日本人のように奥ゆかしくないと成立しません。
これが漫画I'sのヒロイン伊織ちゃんや主人公が情熱的な欧米、南米系でしたらどうなるでしょう?
体育館倉庫で事故的にお尻が顔に食い込んだらそのままゴールの可能性すらあります。
そんなことは望んでいません。
つまり、私の悩みはこうです。
以前は少年ジャンプ的エロテロリズムを楽しんでいた
→グローバル化により対象が日本人からズレて来た
→「少年」ジャンプの枠を超えてしまう
→俺的テロの撲滅
これがグローバル化に伴うデメリットだということは、世間的にはかなりどうでも良いことだということは間違いないと思います。