星を創るルワンダの神々
ルワンダにいると時々、脳天突き破るんじゃないかってくらい鼻をほじっている方に遭遇します。
鼻をほじるときは真剣そのもの。
2~3m先の1点をぼーっと見つめ無我の境地に達した後、
無我夢中で鼻をほじる。
もうね、ゾーンに入っちゃってるんです。
一流スポーツ選手みたいなんです。
彼の鼻の中をイメージしてみましょう。
今そこには、無限の宇宙が広がっています。
その中で素粒子の集合体を作りあげています。
そう、彼は今、まさに神となり、新たな星を作っているのです。
その星を我々人間が認識した時に、初めて鼻クソとしての存在が認められます。
我々の世界では、見上げるとそこには無数の星があり、
言い換えれば、天には神の無数の鼻クソが輝いているということです。
たまに神は道端で、片方の鼻の穴を親指で抑え、
「フンッ」という掛け声とともにビッグバンを引き起こし、
鼻からメテオをまき散らします。
その神々がお星さまを作りながら、
私たちアジア人を見つけると笑顔で
「ニーハオ」
と挨拶してきます。
神を無視するわけにはいきません。
「ニーハオ」
と返事を返すと、
調子に乗った神が握手を求めてきます。
ちょっと待って!
今、鼻ほじっていたよね!?
絶対に今指にお星様が付いてるよね!?
神よ、私に罰を与えようとしているのでしょうか。
もしくは人間が握手に応じるとでも思ったのか。
その崇高な考えは我々人間には理解できません。
そこで神を理解するためにも、この感覚の違いがどこから来ているのかを考えなければならない使命感に駆られ、気づいたら鼻クソを検索している自分がいました。
目クソ鼻クソ耳クソの違い
世の中には、目クソ鼻クソという言葉があります。
ご存知だとは思いますが、汚い目やにが、鼻クソを汚いと言って笑う、自分の欠点には気がつかないで他人のことをあざ笑うたとえです。
(goo辞書< https://dictionary.goo.ne.jp/jn/217205/meaning/m0u/>)
五十歩百歩とほぼ同義と捉えても良いのではないでしょうか。
しかし、私はこの言葉に対して昔から違和感がありました。
そこで目クソ鼻クソ耳クソの3者について改めて考えてみました。
確かに、成分としては、どれも黄色ブドウ球菌を始めとする常在細菌の塊みたいなものにほこりなどが混じっている汚いものだそうです。
しかしですよ、私は鼻クソはワンランク上の存在なのではないかと常日頃考えています。
まずですね、
なぜ、秋葉原には膝枕で耳クソをとってくれる店があるのに、鼻クソをとってくれる店はないのか。
鼻クソ専門店だってあったっていいじゃないか。
これほど凌辱心をくすぐるサービスはないです。
一部のマニアからはウケること間違いなしです。
また、主観になってしまいますが、私は目やにが付いている知人に対し、
「今日目ヤニすごいよ」
とは指摘できても、鼻クソがそよいでいる知人に対して、
「今日鼻クソすごいよ」
とはなかなか言い出せません。
さらに、目クソは眼脂(がんし)、耳クソは耳垢(じこう)という正式名称があるそうですが、
鼻クソは「鼻クソ」のままだそうです。
いや、これ完全に差別だよね!
鼻クソの気持ちになってくださいよ。
仲間だと思っていた奴らには、立派な名前が付けられているのに、
自分だけ「糞」って付いているんですよ?
「糞」ですよ?
名づけ親も何考えているんでしょうか。
そりゃね、鼻クソも相当悩んでいるでしょうよ。
私なら15歳になったら絶対改名しますね。
鼻武尊(はなのタケルノミコト)くらいのかっこいい名前に変えますね。
あと知っていましたか?
鼻のほじり過ぎは、左右の鼻腔を分ける鼻中隔に穴が開いてしまう鼻中隔穿孔を起こすことや、
感染症などの危険もあり、
鼻腔内の傷による出血で、最悪の場合死に至ることもあるそうです。
鼻クソ取るには命かけなきゃいけないんです。
アフリカの奇跡
このように、どう考えても、目クソ・耳クソ・鼻クソには大きな壁が存在します。
そう、鼻クソはワンランク上の存在なのです。
しかし、前回の記事でも申し上げましたが、私の常識なんて曖昧なものです。
私たちの中では、糞の成分というカテゴリーでは同類であっても、
アンタッチャブルか否かという差異がそこにはあります。
一方で、現地の一部の人にとっては、これらは全く同じものとして扱われているのではないか!?
具体的には、道端で鼻クソをとる行為は、まさに目ヤニをとっているのと同じ感覚なのではないかと仮説を立てました。
そこで、現地の人に聞いてみました。
「なぜ人前で鼻をほじるやつが多いのか。目ヤニを取っているのと同じ感覚なのか?」
「え?やめてよ、汚い。単に恥がないだけよ。恥が。」
え?
恥がないだけ?
早くも私が構築した鼻クソ=目クソ同じ感覚説が覆されてしまいました。
どうやら神は神でも、そのへんの田舎道にいるのは、
恥じらいのヴィーナスに代表されるような恥を知る神ではなく、
浮気で有名な恥がないゼウス的な神だったようです。
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Figino.jpg)
そう、つまり鼻ほじりはゼウス的な神による奇跡だったということです。
これこそがまさに俗にいう「アフリカの奇跡」なのかもしれません。
とにかく、今回の記事で何が言いたいのかというとですね、
ルワンダでは鼻ほじっている人が多い、ただそれだけなんです。
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